日本の現行制度において、学歴を得ることはコスパがよい
3月ということで、大学の合否もそろそろ出揃い、浪人するか、否かなど、「学歴」を巡るモヤモヤが続いている人も多いか思います。
自分もはるか昔の15年前の春にそんな葛藤がありましたので、自分が思う「学歴の意味」について書いていきます。
進路で葛藤している方は一つの参考にしてみてください。
その前に・・・
「あんたの学歴はそもそも何なの?」
というツッコミがあると思いますので、まずは自分の学歴を開示します。
自分は神奈川の底辺県立高校を中退した後に、慶應大学に進学しました。
この経歴が「学歴がある」のか「学歴がない」のかは、個々の主観に委ねるとして、自分は「学歴に意味がある」と考えている人間です。
では、なぜそういう考えに至ったのかを、これから詳しく書いていきます。
学歴は凡人が自信を得るための最も簡単な手段
自信を持っている人っていますよね。そういう人に、今も昔も憧れてしまいます。
ただ、自信を持つことは、簡単そうに見えて難しいです。
何かしらの成功体験がなければなかなか自信を持つことはできません。
しかし、「成功体験を得る」というのも意外とやっかいです。
はっきりとわかる成功体験ってなかなかないです。
ましてや、様々な制約から行動範囲に制限がある10代ならなおさらです。
その点、日本の大学受験のシステムは、努力をした分がはっきりと結果に現れるので、「成功体験」を得るのに、適しています。
努力が結果に反映されるのって当たり前のように思えますが、実際、大学受験のようなわかりやすい反映の仕組みってそんなにないです。
日本の大学受験は点数を取ればよいペーパーテストなんで、当たり前と言えば当たり前なのですが。
ポイントなのは、ただ単なるペーパーテストに過ぎない大学受験の結果で、多くの人が評価してくれるという点です。
正直、日本の大学受験ほど、かけた「努力」に対して得られる「評価=利益」が高いものってあまりないです。
つまり、身もふたもないことを言えば「日本の大学受験で高学歴をゲットする」するのはコスパが良すぎです。
比較的簡単に成功体験を得られて、周囲からも評価されるチャンスをみすみす逃す手はないということです。
学歴は根拠のない自信を培ってくれる
例えば、何か新しい知識を得ようとする際に、学歴があると、「まあ、俺ならなんとかなるだろう・・」と前向きに考えることができます。
冷静に考えてみれば、日本の大学受験ってペーパーテスト一回のみだから、その試験で点数が取れたこと=頭が良い、という訳ではないです。
点数が数点しか違うレベルでは、はっきり言って同じなのですが・・・
ただ、周りの大半の人たちは、「どの大学に入ったか」ということを評価基準にしているので、やがで、「俺はそこそこ頭が良いんだ」という自信を醸成するようになります。
これが良いのか悪いのかは別にして、いわば根拠のない自信を得るということです。
ただ、自信がないよりは、ある方が様々なことにチャレンジしやすくなるので、根拠がなくとも、自身があった方が有益です。
後述するデメリットもありますが・・
学歴のデメリット=中途半端なプライドを持ってしまう
大学受験でそこそこの高学歴をゲットするのは、多くの面で利益があるのですが、デメリットもあります。
それは、無駄にプライドが高くなってしまうことです。
前述したように、日本の大学受験はペーパーテストのみなので、はっきり言ってこの程度の試験にパスしたからと言って、たいした能力の証明にはならないです。
ですが、周りはけっこう評価してくれます。もちろん、学生時代限定ですが・・・
そこで、調子に乗ってしまい「俺は優秀なのだから、こんな仕事はできない」「〇〇大学卒の俺がなんで、こんな仕事」となり、実力以上のプライドを持ってしまいがちです。
あるいは、「せっかく〇〇大学に入ったのだから、当然ブランド価値がある大手企業に入らなければ・・・」となり、周りと無駄なマウント合戦で消耗する人もいたりします。
例えば、「ベンチャー企業に行きたい・・」と思ったとします。
しかし、そこそこの学歴があるがゆえに、親からの無言の期待や同級生が大手企業に行くなどから、そういう冒険がなかなか出来なくなってしまうなんてことがあります。
まあ・・半分は10年前の自分だったりするのですが・・・
日本の高学歴は、簡単にゲットできる。上手く利用しよう。ただし・・勘違いしないように
世間が評価してくれるそこそこの高学歴は簡単にゲットでき、得られる信用、評価も努力の割にかなりオイシイです。
ですが、あくまでその程度で得られる学歴なので、過剰な期待は禁物です。
医学部とかは別物だと思いますが・・・