電通事件を発端にして長時間労働に対する締め付けが最近かなり厳しくなっています。特にサラリーマンにとって衝撃的だったのは経営者ではなく一上司が部下の長時間労働の責任を問われ書類送検までされたことではないでしょうか。これは要するに、長時間労働の結果、部下がうつ病になった、または過労死にまで至った場合、上司は犯罪者になるということです。長時間労働がなく、精神的疾患で休んでいる人は一切いないという会社はほとんどなく、大半の人は社内で仕事を休んでいる同僚の話を聞いたことがあるでしょう。つまり、多くのサラリーマンにとって、長時間労働を放置=書類送検される=犯罪者になる、という話は十分身近な出来事として感じるはずです。
三菱電機を書類送検=長時間労働させた疑い-藤沢労基署(時事ドットコムより)
書類送検の話もそうですが、電通の過労死事件(以前に起きた過労死事件ではなく、今回の高橋まつりさんの件)以降、急速に長時間労働に対する社会の意識が変わって来ています。正確に言えば、政府=お上が旗を振ったため、長時間労働=悪という価値観が急速に社会に浸透しており、常識が徐々に変わってきているように感じます。この意識の変化は、10年ほど前に起きた飲酒運転に対する意識の変化とよく似てます。そこで、今日は飲酒運転に対する意識の変化を見ていき、長時間労働に対する意識がどのように変わっていくのかを考えます。
飲酒運転が、絶対悪になったのは意外とつい最近である
飲酒運転は今ではまともな人なら絶対にしてはならないという意識がありますが、意外とつい最近、90年代後半までは、やってはいけないけど、まあ気をつければいいや程度の意識しかありませんでした。自分は今30歳なので、当時の意識は人づてに聞くことでしか確認はできなかったのですが、大ヒットドラマの「北の国から」で明らかに飲酒運転しているであろう描写が普通にされていることや、下記のようなアンケートもありますし、人により意識の程度はあれ飲酒運転に向けられる目が今よりももはるかに緩かったのは事実でしょう。
飲酒運転したことある?高齢男性は半数以上が「経験あり」(しらべぇより)
飲酒運転の意識が大きく変わったのは、福岡で起きた幼い子供が3人亡くなるという痛ましい事件以降です。(福岡海の中道大橋飲酒運転事故 参照:wikipedia)この事件が起きたのは2006年ですが、これ以降法律上も飲酒運転の厳罰化が進み、社会の意識も飲酒運転=絶対にしてはならない、という認識になりました。さて、ここからが本題ですが、今回の電通の事件も社会の意識を大きく変えるターニングポイントになるのではないか、と自分は感じてます。
痛ましい事件発生→世論の後押し→厳罰化=政府のお墨付きによって常識の変化は意外と短期間で起きる
社会を騒がせる痛ましい事件が発生すると、もともと既にある程度国民の間で醸成されていた価値観が一気に爆発的に広がり、政治を動かします。飲酒運転も2000年代前半には既にやってはならないという意識は多くの人々に共有されており、それが福岡の事件で一気に火がつきました。今回の電通事件が正にそれにあたります。もっとも長時間労働に対する考え方は未だに賛否両論あります。現代の若年世代には長時間労働をするべきではないという意識は共有されていますが、40代以降の世代は、「俺らが若い頃は当たり前だった」、「仕事は厳しいもので、長時間労働もやむを得ない」という意識は根強くあります。ですが、今回の電通事件を受けて、長時間労働は良くないことだという意識が強まり、かつお上=現政権も長時間労働許すまじというスタンスを取っているため、このような上の世代の価値観も急速に変わっていく、いや変わっていかざるを得ないと思います。なぜなら、空気を読み、お上に従うという日本人の気質により、一旦世論の方向が決まれば、雪崩をうったかのように、自分の意識を多数に合わせていく人々が増えるからです。90年代前半に、同じく電通で起こった過労死事件の際には、世間にはまだ長時間労働=悪いことという意識はそこまでありませんでした。そのため、あのような痛ましい事件を経ても、大した変化が起きなかったのです。ですが、今回の事件の場合は、既にもともと長時間労働=やるべきではないという世論が一定のしきい値に達していたこと、また政府も同様の動きをしていることから、一気に常識が変わっていくと思います。
本日の社会を生き抜く知恵
常識は意外と簡単に、かつ短期間に変わる。自分の経験だけを頼りにして、今ある価値観に固執することは愚かである。意識をアップデートしていこう。