最近、恋愛工学についての話題がはてなブックマークで話題になっています。
ちなみに、恋愛工学という言葉自体はじめて聞く人もいるかと思いますが、金融日記の藤沢数希さんが提唱している理論というか、要するに女性にモテるための方法論です・・・というのが、一般的な考え方と思いますが、自分は少し違った意味で、恋愛工学を考えています。という訳で、今回は、ネット界隈で最近取り上げられている恋愛工学についての自分の考え方を書いていきます。ちなみに、自分は藤沢数希さんのメルマガをつい最近まで購読していましたので、肯定派からの見方という認識で読んでいただければと思います。
恋愛工学=女性にモテるための方法ではない
恋愛工学でググると、だいたい女性をゲットするための方法という視点で、書かれているものがほとんどです。名前が「恋愛工学」なので、そういう風に捉えるのも当然ですし、たぶん藤沢数希さんもビジネス的な観点からこういうキャッチャーな名前を作り、女性にモテるための方法という点を全面的に押し出したのでしょう。そのことにより、実際多くのメルマガ読者を獲得し、商業的に成功しています。ですが、自分が考える恋愛工学の本質というのは、「恋愛」というごく一部の行為だけではなく、人間の行動、本質を分析した考え方だと認識しています。どういうことかと言うと、人の行動様式や文化は昔と現代とでは大きく変わりましたが、大元である人間の脳は実は旧石器時代から変化していないという観点から様々なことを分析するのが恋愛工学の本質だと自分は考えています。
恋愛工学の各種のテクノロジーや戦略を開発する上で、基礎となる重要な概念のひとつは「旧石器時代に適応している人間の脳が、現代社会に不適応を起こしている」ということです。この人間の脳=石器人のまま、という仮説の上で、我々は様々な理論を構築し、そして実戦に投入してきました。(週間金融日記第136号から)
現代社会は旧石器時代の社会とあらゆる意味で異なっているのにもかかわらず、人間の脳や本能は旧石器時代の環境に適応するように設計されている・・・それ故に様々な面で不都合や齟齬や生じている、そして、その不都合の一つが「恋愛」という訳です。恋愛以外で、代表的な「齟齬」の例として、「肥満問題」があります。昔は食べ物を確保するのは至難のことでしたので、食べ物が目の前にあればとにかく摂取する、人間の本能は今でもそのままです。だから、頭で食べてはダメとわかっていても、我慢することが出来ずに、食べ物が簡単に手に入る現代では多くの人が肥満に悩まされています。
石器人仮説の最も簡単な例が、肥満でしょう。サバンナで生活していた我々の先祖は、いつ飢えるかわからない環境で生活していました。サバンナでは、食べられるときに食べられるだけ食べる、そして、余分なカロリーは脂肪にして蓄えることにより、生存確率が上がったのです。よって、人間の心と体はそのように進化しました。しかし、食べ物が溢れかえる現代社会で、この過剰な食欲は、肥満、そして、多くの成人病を引き起こします。(週間金融日記第136号から)
恋愛工学を語る上でもう一つの重要な要素があります。それは、「利己的な遺伝子」という考え方です。生物は種の繁栄のために行動するのではなく、個別の繁栄のため、つまり自分の遺伝子を増殖するために行動しているという考え方です。この考え方によれば、男性は、妊娠や出産のリスクがないので、遺伝子をより多く拡散するためのもっとも効率的な方法は、なるべく多くの女性と関係を持つということであり、男性は本質的には浮気性です。反対に、女性は妊娠や出産のリスクがあり、多大なコストがかかり、子供を産む数に制限があるので、まず受け入れる遺伝子を選り好み、その後、大切な子供を無事に育て上げるべく、子育てに協力的でかつ経済力がある一人のパートナーを選ぶ傾向にあります。そして、女性側からすると遺伝子の提供者と子育ての協力者は必ずしも一致しなくてもよい訳です。
進化生物学は、約150年前のチャールズ・ダーウィンらの研究にまで遡る。進化を引き起こす自然淘汰の理論は、その後、多くの生物学者により洗練されていき、個々の個体が「種」の繁栄のために協調しながら生態系を作っているとする牧歌的な生物観は否定され、いまでは、単に個体単位、より厳密に言えば遺伝子単位で、自らをより効率よく複製してきた形質が、遺伝子プールの中で増殖していくだけのプロセスだと理解されている。(中略)また、哺乳類で、自らの血が繋がっていない可能性のある子が頻繁に親に殺される現象が観察され、種単位で自然淘汰が進む、という考え方は否定されている。(週間金融日記第151号より)
さて、ここまで書いてきましたが、要は人間の本質は昔と変わっていない、そして、そもそも遺伝子レベルで自己中心的に振る舞うように設計されているということです。全く身も蓋もない話ですが、人類の血塗られた歴史を振り返ると自分は妙に納得できました。もちろん、人はそういった本能を理性により制御し、少しづつ努力を重ねながら、文明を発展させてきました。ですが、本能に囚われないためにも、人間の本質というものを頭の片隅に置いとくことが必要だと自分は考えています。恋愛工学は、身も蓋もない人間の汚らしい本質をあけすけに語っていますが、それもまた人が持つ一面なのです。
本日の社会を生き抜く知恵
現代人の脳は旧石器時代からほとんど変化していないので、その本質は昔と変わらない。また、人は本質的に自己中心的に振る舞う生き物である。恋愛工学はそれら人間の本質の一面をあけすけに語ったものである。