あなたは中流階級出身ですか?
ここ10年くらい前から日本にも格差社会が到来したと言われてます。
実際、相対的貧困率は過去30年間で上昇傾向にあります。
が、自分も含めて一般の国民は格差をあまり意識していないのかなと日々感じています。
恵まれている友人の生活を見て、「ああ・・・格差社会を感じる・・」と冗談まじりに言うことはあるでしょう。
しかし、「自分の出身階級は?」と聞かれたら、多分「・・・・」という感じになるでしょう。
中流階級以上の日本国民の多くは、「自分たちこそがノーマル」と思っているフシがあります。
前置きが長くなりました。
今回は、中流階級出身の自分が、人生を生きていく上で、いかに得をしてきたかということを、書いていきます。
何故自分をネタにして、そんなことを書くのか?
昨今の自己責任論に疑問を感じているからです。
「貧困は自己責任」と言う人達たちは自分と同じ恵まれている人々の発言ではないのか。
彼ら、彼女らは「自分たちが相対的にかなり恵まれている」ということに無自覚だからこそ、安易な自己責任論に行き着くのではないのか。
そう考えているからです。
自分もつい最近まで、「貧困は自己責任」と単純に考えていました。
「自分は努力してきた。あいつらが貧しいのは自己責任だ。」と考えている人は、読んで見てください。
大学の学費は親に全額負担してもらった
総額数百万円かかった大学の学費は全て親が負担してくれました。
この時点で、学費を自分で負担しなければならない人たちに比べてかなり恵まれています。
奨学金で大学に行っていたら、間違いなく今と異なる人生を歩んでいたはずです。
キャリアを選ぶときに、より保守的になり、思い切った行動もなかなかできない人生を選ぶはずです。
ここでも、恵まれた外部環境による影響を大きく受けています。
親から虐待を受けたり、金を取られたことは一切ない
幸運なことに、両親は二人いましたし、虐待されたという記憶も全くないです。
現在に至るまで、親から金をせびられたという経験も一切ないです。
というか、金銭に関わるトラブルは家族の中で一度もないです。
なので、もし仮に今会社をクビになっても、かなり居心地は悪いでしょうが、実家に戻って、生きていくことができます。
常に心のどこかで、実家がセーフティーネットとして機能しているわけです。
これが、幼少期から常に暴力を振るう親だったり、常に金の無心をしてくる親なら、家族に頼るという考えはなかったでしょう。
最後のセーフティーネットとして両親に頼ることができないという環境の下では、自分の性格はかなり違ったものになったはずです。
具体的には、今よりはるかに金にシビアになったり、人を信用することができない性格になっていたでしょう。
努力をすることができない人達もいる。
努力をすることは誰にでも出来る・・・ことではありません。
今、自分が知識を得るために、勉強したり、未来に向かって努力が出来るのは、幼少期の少なくない成功体験があるおかげです。
「努力すれば結果が出る」ということを、今までの人生で経験したことがあるおかげです。
そういった経験が一切ない場合、「努力して未来を変える」という行動を取ることができるかはかなり疑問です。
幼い頃から、家庭環境は荒れていて、常に金銭問題を抱えている状況で、果たして継続的な努力など自分にできるのだろうか、と考えてしまいます。
とはいえ、結局のところ、人生を好転させるためには、一定の努力をすることが不可欠です。
しかし、一度も成功体験がない人たちに対して、「努力しなさい」と言っても、多分何もしないでしょう。
そういうところを見ると、「あいつらは何もやらない。結局、自己責任だ」と言いたくなります。
正直なところ、努力ができない人たちの人生を好転させる手立てというのはまるで思いつきません。
ただ、環境次第では、誰でもそうなっていてもおかしくない訳です。
それにもかかわらず、安易に自己責任を叫んでいても、貧困問題は前に進まないのでは。