エッグボーイの行った行為は称賛されることなのか。
エッグボーイって誰だ?という人もいると思うので、簡単に説明する。
詳しくはリンク先の記事を読んでもらいたいけれど、ニュージーランドで起きた反イスラムのテロ行為に対して、一人の政治家が、テロの原因は、狂信的なイスラム教徒の移民を受け入れたことだと主張した。
その政治家に対して、若者が抗議の意思を示すために、卵を投げつけた、この若者がエッグボーイという訳だ。
さて、記事にある通り、エッグボーイが行った行為は概ね肯定されているようだ。
肯定されている理由としては、この被害者が公的な立場にある政治家であること、差別的な発言をしたこと、といったところだろうか。
さて、本日の議題である。このエッグボーイが行った行為は、称賛されるようなことなのだろうか。
差別発言した議員に卵をぶつけた少年 ⇒ 「エッグボーイ」として注目集める
自分と異なる考えに対して、暴力を持って何らかの影響を与えようとすること=テロ
まず、前提として、この政治家の発言の是非については、特にここでは触れない。
エッグボーイが行った行為のみを取り上げたい。
彼が行ったことは、民主政において正当な手続きを経て、選ばれた議員に対して、自分の信条と異なるこの議員に思い知らさせるため、または世間に何らかの影響を及ぼすため、この議員に対して、言葉ではなく暴力を行使したということだ。
これって、ニュージーランドで起きたテロと本質的には同じではないだろうか。
もちろん被害の大小は比較するまでもないし、たかが卵を投げたくらいそれが何なんだ、たいしたことではないと思う人も多いだろう。
でも、エッグボーイとテロリストの思考の根幹は似ている。
グチャグチャ細かい揚げ足を取るなよ。レイシストの胸糞悪い政治家には小奇麗な言葉なんて届かないんだ。
そんな面倒くさいことより、ひとつ卵を投げつけて、恥をかかせてやれば、高慢な政治屋も自身の愚かさを思い知るだろう。
これでレイシストどもが、おとなしくなれば少しは社会もよくなるってもんだ。
彼がやったことは正義に基づく正しい行為なんだ。
エッグボーイを肯定する意見はこんなところだろうか。
ニュージーランドのテロリストがどういう思考回路を経て、テロを実行したのかは細かい点は、本人しかわからない
しかし、面倒くさい民主的な手続きを経るよりも、暴力に訴えた方が、社会への影響力が強いと感じていたのではないだろうか。
エッグボーイの行為が称賛される様子を見た人々はこう感じるのではないか。
酷い不正義がなされた時は、それを正すためには、たとえ違法な行為であっても許されると。
そして、こういった衝撃的な行動を取るほうが、世間は注目し、社会への影響力もあると。
ニュージーランドのテロリストにとって、不正義は、「イスラムの移民が増えていること」であり、それを正す手段は「無差別殺戮」だった。
しかし、行為の大小を削ぎ落として考えれば、両者の本質は同じである。
だから、エッグボーイの行為は肯定されるべきものではない。
ニュージーランドのテロリストの行為を否定するためにも、エッグボーイの行為も非難されてしかるべきなのに、何故か称賛されている。
小さなテロは許されるということだろうか。
火が小さい内に消火した方がよいと思う。