自分の子供と触れ合っててそんなに楽しいのだろうか?
1歳3ヶ月になる娘がいる。今や完全に歩けるし、走れる。そんな訳で、少し目を離すとあたりを駆けずり回っている。
といっても、会話の方はまだろくすっぽもできない。せいぜい「あー」とか「うー」とか意味を持たない言葉を発する程度に過ぎない。
さて、本日の議題である。子供ができる前から、疑問だったことでもある。
それは、「自分の子供と遊ぶと楽しい」という言説が本当に正しいのかということ。
たとえ自分の子供であっても、楽しくないだろうなと常々感じていた。
むしろ道理がわからない知性がない子供と触れ合ってもストレスの方が多いだろうと思っていた。
結果は、予想どおりたいして面白くない。
こういうことを言うと、サイコパスのように思われるかもしれないから、少し言い訳をしたい。
確かに子供が短期間で成長してこれまでできなかったことをしたり、予想外の行動をするさまは見ていて興味深いし、微笑ましく感じる。
しかし、それもせいぜい数十分触れあえば十分な程度である。
それよりも、子供の予期せぬ行為によって彼、彼女に生じる危険を守ることに神経をすり減らしたり、言葉が通じぬゆえにまるで言うことを聞かない行動にイライラさせられたり、これらのストレスの方がはるかに大きい。
はっきり言って四六時中子供といるのは著しくストレスが生じるから、一日数十分、一週間に数時間触れあえばそれで十分と感じている。
「こんな親を持って子供が可愛そうだ」と思う人も多いと思う。
でも多くの親は本当のところはそう思っているのではないだろうか。
ただ、「自分の子供といるのが嫌だ」なんて考えるだけで、「穢らわしい」、「間違っている」と思ってしまい、そうした感情を押し殺しているように思える。
お金があるなら、子育ては外注したい。
自分の心を無理に常識に合わせようとしているから、子育て中の親の少なくない人が、過剰にストレスにさらされているように思える。
日本以外の先進国の富裕層は、子育てを外注しているのではないだろうか。
実際、乳母なんてのも昔からあるくらいだし、「子育てなんてできれば避けたい面倒ごと」というのが実は自然な感情なのだろう。
たまに合う祖父母や扶養義務のない赤の他人は、子供を見て「かわいいねえ・・」なんて言うけれど、それは責任がなく、触れ合う時間も短いからだろう。
何十年後か先かわからないけれど、AIが子育てができるくらいに進化したのなら、多くの人たちは、AIに子育ては一任して、今の祖父母みたいにたまに子供と触れ合って、いいとこ取りをするだけになる気がする。
常識なんて、わずか数十年単位でまるで変わるから、「子育ては親がやらなければならない」なんて価値観は、代わりに機械がやれるようになれば、すぐに薄れていくだろう。
人間は楽ができるのなら、楽をする生き物なのだし。